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卒業の季節も過ぎ、校庭の桜の花びらは、まるで、これで自分たちの役目は終わったとでも言いたげに、次々と散っていった。そして、早くも彩緑の葉が芽吹いている。
心地のよい春の陽気と、初夏をも思わせる爽やかな風に、生まれたばかりの命が音をたてて揺れる。
そんな中、日当たりが悪い所為か、外界に比べると少し肌寒い体育館に、少女が一人佇んでいた。少女は、今年、この高校を卒業したはずの一人であるが、その愛嬌のありそうな顔は、晴れ晴れとせず、どこか緊張しているようにさえ見える。
もう、20分になるだろうか。少女は、何をするでもなく、ただ体育館の冷たい床に、まさに文字通り、棒のように立って、口を硬く引き結んでいる。
「やっぱり・・・・」
不意に、少女が呟いた。
誰に当てた言葉でもなかった。これだけで意味を持つ言葉でもなかった。ただ、少女は、少女の裡深くの何かは、その続きを考えることを、酷く恐れていた。
「・・・・はぁ」
無意識のうちに溜息が出たことに、少女は、自分自身に驚いた。
解っていたことなのに。それなのに、こうやって改めて現実をまざまざと突きつけられると、どうしてもやるせなくて、鼻の奥がツーンとした。
それが、何の感情なのかは、あまりにも漠然としすぎていた。
「何や?」
突然、少女の後ろで、聞き覚えのある声が聞こえた。
はっとして振り向くと、今、少女の思考をほぼ完全に支配している男の姿があった。
彼は、いつものように、水色のカッターシャツに、深い藍のネクタイ、そして漆黒のスーツに身を包み、体育館の入り口付近の壁に、腕を組んで凭れ掛かっていた。
泣き出しそうになっていた少女は、突然の彼の登場に、暫し言葉が出なかった。唖然とした表情で、頭の中で描いたとおりだった姿の彼を見つめていた。
「何や、こんなところに呼び出して」
彼が、目を伏せて溜息混じりにもう一度言った。
彼の呆れたような声に、どうしようもなく不安が募り、それはまた少女を動揺させた。
「あ、あのっ・・・・来てくれて、ありがとうございます」
ようやく、それだけ告げた。極度の緊張と動揺を隠し切れず、声が裏返る。
独り葛藤している少女に気付いているのか否か、彼は床に無雑作に転がっていたバスケットボールを拾い上げた。そのまま、その場でボールを慣れた手付きで床に打ち付ける。ボールは、寸分の狂いもなく、再び彼の手のひらに収まった。
「先生、私・・・・前から、言いたかったことがあるんですけど」
彼は、ちょうどフリースローラインから、ボールをゴールへと放った。バックボードに当たったボールが、まるで、それが当たり前のことであるかのようにネットに包まれて軽快な音をだした。
「あぁ」
彼は、ゴールを見つめたまま、少女に視線を合わせようとはしなかった。
低い声でそう一言だけ返事をしてから、床で跳ねているボールを取りに足を向ける。
「・・・・私、ずっと・・・・」
今度は、少し遠くから、彼がドリブルをしながらゴールに近付いていった。
姿勢はあくまで低く。両手で器用に、まるで魔術師か何かのようにボールを操る。決してスピードは緩まることはなく、いつになく真剣な表情で。
少女は、頬が紅潮するのを感じた。
このまま、気持ちを伝えても良いのだろうか。
後悔はしないか。少女は、自分自身に問いかけた。
そして、その答えは、否だろう。
厭でも後悔してしまう。
どんなに上手く、どんなに心に響く言葉に出来たとしても。
言葉にすることだけで、人間の気持ちは色褪せてしまうほど儚いものだから。
そんなこと、痛いほど、解っている。
何でもないふりをして、誤魔化そうか。
先生、一緒にバスケしよ。って、笑おうか。
そうすれば、今の関係を壊さずにいられる―――――。
「・・・・わたし」
それでも、想いを伝えずにはいられなかった。
たとえ、傷つくことになったとしても。
もう二度と、想いを伝えられないまま離れるのは厭だ。
彼が、まるで重力を無視しているかのように、高く、跳び上がった。
「先生のこと・・・・」
しなやかな体が、フォームを完全に維持したまま、窓から差し込む燦々とした太陽の光に照らされる。
綺麗、だった。
そして、彼の手から、ボールが生き物のように離れていった。
「・・・・好き、です・・・・」
少女が衷情を告げ終わるか否か、ガンッと、鈍い音がした。
はっと我に返って見ると、先ほどまで呼吸すらしているようだったボールが、彼の後方で、少女が見知った無機質な物体となって、床の上で重力加速度と格闘していた。
彼はというと、ゴールの下の方で、少女に背を向けたまま、ひたすら動こうとしなかった。
それが、一秒後のことだったのか、はたまた一時間後のことだったのか、少女には見当すらつかなかったが、彼はようやく少女の目を見た。
他人より少し色素の薄い瞳が、真っ直ぐ少女を見つめている。その瞳に、惹かれたのだ。
大好きだ。もう一度、少女は心の中で呟いた。
そして、彼はすぐに視線を反らした。
当然の如く、重力には勝てなかったボールが、床からの垂直抗力を受けて、少し離れたところに転がっていた。
彼は、そこまで静かに歩いて行って、ボールを拾い上げた。彼の動きを、少女が目で追う。
「格好悪いなぁ・・・・あそこで入れてたら、メッチャ格好良かってんけどなぁ」
彼が、呟く。
少女に対して言ったのか、それとも独り言だったのか、彼の視線は、再びゴールに向けられていた。
「――――ッ、お前が動揺させるからやぁ!」
突然、彼が声を張り上げた。
見ると、俯き気味の彼の頬も、少女と同様、少し紅潮しているように見える。
「なっ、それ、ただの当て付けじゃ・・・・」
そこまで言ってから、少女は次の言葉が出なくなった。
―――――動揺した。彼がそう言った?
そんなはずはないと、自分に言い聞かせた。
女の子からの告白なんて、何度受けているかも分からない。そして、何度断っているかも分からない。そんな人が、動揺?
「・・・・あの、先生・・・・それって・・・・」
「黙って見とけ、今度こそ入れる」
彼は、少女の隣に並んで、ボールに両手を添えた。
待てどもボールを放つ気配のない彼を、少女が見上げる。視線に気付いた彼が、こう呟いた。
「・・・・お前、ホンマに俺でエエんか?」
その言葉に、少女は躊躇うことなく、満面の笑顔で大きく頷いた。
彼の手から、再びボールが離れていく。
Fin.
2006.06.03
俺の力は無限大?
お世話になってます☆
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